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  1973, Datsun 240Z RB26DETT Location: Tallin (Estonia)     Mileage 3.000 km Owners N.A. Engine ...

Ritmo とリトモ (2/2) 2021年11月14日 浩美 | 愛知(日本     前回の記事でフィアットリトモに乗るリトモさんの名前の由来やリトモを手に入れるまでのことなどについて話したが、今回は彼女の愛車リトモの修理やメンテ歴、これから彼女がリトモと一緒にやりたいことなどについて書いてみたい。   [envira-gallery id="19607"]リトモを買って最初の一年ぐらいは故障が多く、その都度修理やメンテナンスをしていたが、現在はかなり快調らしい。どの様な修理やメンテをしたのか聞いてみたところ、主なものだけでも20カ所ぐらいあったとのこと。私ならそこで早くもくじけてしまいそうだが、ここも彼女のリトモ愛でクリアー。 彼女がどんな修理やメンテナンスをしたのか紹介してみよう。 ・ラジエーターからのクーラント漏れ →オイルクーラーをワンオフで作り直す ・燃料タンクと給油口のつなぎ目から燃料漏れ →ゴム類の交換 ・燃料ポンプ故障(3回)→2回は純正の新品燃料ポンプに交換するがどちらも半年程で故障 →日本産NISMOの電磁式燃料ポンプに交換 ・キャブレターの息継ぎ →オーバーホール+ジェットの清掃 ・ラックアンドピニオン →新品に交換 ・テールランプが劣化で割れる →リプロ新品に交換 ・プラグコード作り直し →汎用品を加工し取付 ・走行中にヘッドライトのガラス面が接着の劣化で落ちて割れる →ランチアデルタ用のヘッドライトを取りつけるも、同じく接着の劣化で落ちて割れる →大きさは違ったが小糸製のヘッドライトのガラス面だけをシリコンで埋めるなどして使用 ・デスビローターからオイル漏れし、失火しエンジンストップ→デスビのシール交換 ・フロントライトを消費電力を抑え、なおかつ明るくするためLEDに換装 ・純正ワイパーでは水を切る面積が狭かったので、プレードごと大きなワイパーに交換 ・三角窓の錆と変色していたものを自分で塗装 ・マフラー排気漏れ→溶接し塞いだがサイド排気漏れしているのでマフラーを作り直す予定 ・ドア内の骨組みが折れている→両方ともやり直して補修 ・本来は美しいプレスラインだが、落ちていた→ドアのチリ合わせをし、落ちていたプレスラインを合わせ直した ・リアのフロアの錆→錆び止め、鉄板を当てて溶接後、塗装 ・左右ドアの小さな錆→内張を剥がし、錆び止め後塗装 ・オーディオの配線の引き直し ・リアの窓から車内に水が浸入→窓枠のゴムを新品に張り替え ・ステアリングギアボックス交換 ・タイロッドエンド左右交換 [envira-gallery id="19594"]ここまでが主なもので細かいものまで挙げるともっとあるそうだ。リトモオーナーの中には、自分もこれやったよと言われる方もいるかもしれない。 また日常的なメンテナンスで彼女がやっているのは、 ・2000キロ毎のオイル交換 ・季節の変わり目のキャブの調整 ・必要に応じたアライメントの取り直し ・各種消耗品の残量確認など 将来的には、時間も費用もかかるが、ハーネスの引き直し、ボディーの補強(スポット)、エンジンOH、ミッションOHなどを考えているとのこと。 [envira-gallery id="19618"]彼女がいつも信頼してリトモを託している工場の方は、お父様の弟子だった方で、リトモを預ける際には、自分でできることを少しでも増やすために、できるだけその場にいて教えてもらえいながら、手伝える部分は手伝っているそうだ。オイル交換、タイヤ交換、簡単な電装系は、自分で充分こなせるらしい。 彼女のリトモはイタリアのトリノで13万キロ走行した車両で、縁あって日本のリトモさんの元にやって来た。彼女自身はまだ日本から出たことはないが、いつか彼女のリトモが走っていたトリノを訪れて、トリノがどんな場所なのか、石畳が本当にあるのか、今も古い車が街中を走っているのか、リトモがどんな所を走っていたかなど確かめたいと思っている。またトリノ時代のオーナーにも日本でリトモが元気に走っていることを伝えたいとも。さらに、時間や費用が許せば、いつか彼女のリトモをイタリアに連れて行き、イタリアをドライブしたいとの大きな夢も抱いている。どれも彼女が実現できた時のことを想像しただけでも、自分のことの様に嬉しく温かい気持ちになる。その際には、本場イタリアの様々な文化に触れてみたいとの彼女の希望の実現に加え、イタリアの大きな魅力の一つでもある、“人と人とのつながり”も間違いなく体感してもらえるだろう。 [envira-gallery id="19636"]車全般が好きなリトモさん、どのような車に興味があるか聞いてみた。機能面を抜きにして車として興味がある車には、イタリアの車が多く、ランチアデルタは小さい頃からなじみ深く、見た目、特にリアの姿が大好きで、手に入れたいとまでは思わないが機会があれば運転してみたいと。日本車であれば、トヨタスープラA70型やトヨタソアラGZ20が好きで、今の車には見られないコスト度外視の装備やドアを閉めた時の重厚感のある音がいいらしい。また旧車全般のなんとも言えない車内の匂いが、かつて走っていた頃のことを感じられ素敵な気持ちになるので、大好きだそうだ。 リトモさんはリトモで日本国内のイタリア車の集まるイベントには積極的に参加していて、賞も何度か受賞したとのこと。そのような場を通じて、人脈も広がり、様々な情報交換ができるようになった。一度リトモに乗るリトモさんと聞けば、印象に残ること間違いなしだ。 今では、リトモを通じて知り合った人のまた知り合いと言う風につながりが広がり、日本国内だけでなく、イタリア、イギリス、アメリカの多くの人たちと友だちになれた。彼女はこの様なつながりの縁を大事に感じ、新しい人たちにもつなげたいと思っている。 [envira-gallery id="19641"]彼女のお父様はリトモでレースによく参戦していたと聞いたので、彼女もリトモでレースに参加したりはしないのか聞いてみた。彼女自身何にでも挑戦したい性格で、日本のレースのためのライセンスの取得、ヘルメット、スーツ、シューズ、グローブも準備し、4点式シートベルトも装備していて、2020年7月の兵庫県のハチ北ラリーに参加する予定にしていたが、仕事やコロナウイルスの影響で、参加できなかったらしい。今後、状況が許せば参加するとのこと。ぜひその時の彼女とリトモの雄姿も見てみたい。 彼女の『リトモはコレクションとして大事に保管しておくのではなく、車として使い、それも長く乗るのを目標にしている』との言葉どおり、通勤にも、週末や休暇の旅行にもリトモを使っているそうだ。二日で800kmの旅行、あてもない2〜300kmのドライブ、キャンプや釣り、美食探しの旅に行くにも一緒だ。一カ所まだリトモと一緒に行けていない場所がある、と彼女。お父様のお墓参りにはまだリトモとは行っていないので、時間を見つけて一緒に行き“リトモがリトモに乗って来たよ”と伝えたいそうだ。きっとお父様はとても喜んでくれるに違いない。 リトモ愛溢れるリトモさん、今後のリトモとのレースでの活躍だけでなく、リトモの次に彼女が選ぶ車もとても気になる。 [envira-gallery...

Ritmo とリトモ (1/2) 2021年2月14日 - 浩美 | 愛知(日本)     ある日、フィアットリトモクラブイタリアの会長とコンタクトを取っていたデニス(ウェブサイトRuote Leggendarieの創設者)から、そのクラブには日本人メンバーがいるらしいことを聞いた。それだけであれば、熱心な方もいるものだ、と言う程度の感想を持っただけだっただろう。さらに聞いていると、そのメンバーは女性、それも名前がリトモと言うらしいとのこと。それを聞いて私が最初に言ったのは『日本でそんな名前の人聞いたことがない』であった。きっとクラブの人たちに覚えてもらいやすい様にニックネームを使っているのだろう、などと勝手に想像しながらも、もしかして本当に存在する?と思い、半信半疑でネットで検索してみた。すると、彼女と彼女が乗る車フィアットリトモについての記事を見つけた。本当に日本にリトモさんと言う女性は存在していて、彼女がリトモクラブイタリアの会員なのだ。早速クラブ会長から教えてもらった彼女の連絡先にメッセージを送ってみた。するとすぐに返事がありそこからリズム良くやりとりが始まった。   [envira-gallery id="18773"]彼女から聞いた彼女自身のこと、彼女の車のこと、またご家族のことなど、ユニークで興味深かったのでここで2回に分けて記事にしてみたいと思う。 フィアットRitmoはイタリアで1970年代後半から80年代後半にかけて作られ、ファミリーカーとして大変多く普及していた。私の義父も短い間ではあったが、乗っていたらしい。では、どうして日本に住む女性の名前にイタリアのそれも一昔前に普及した車の名前が付けられたのだろう。 リトモさん(正確には璃萌さんだが記事では『リトモさん』もしくは『彼女と』書くことにする)は、二十年程前に4人姉妹の4番目として、自動車整備業を営む一家に産まれた。父は(現在お父様は逝去されている)この家業の傍らリトモ、ランチアデルタ、124スパイダーらの愛車でラリーにも熱心に参戦していたらしい。 [envira-gallery id="18786"] 小さい頃の両親は特に彼女に車のことを熱心に教えるなどと言うことはなかったが、常に車に囲まれている生活だったので、彼女は自然と車に関心を持つ様になっていた。小さい頃は車、新幹線、電車、鉱石、宇宙など一般的に男の子が好みそうなものが好きだった。車で外に出かけた時には近くを走っている車の名前を当てるゲームを一人でやっていたと言う。車もそうだが、大きな働く車全般が好きだった。おもしろいエピソードとして、保育園には母の運転するランチアデルタ16...

ランチアスポーツグループ6(LC/1) 2020年6月2日 Ruote Leggendarie Production | イタリア   [blockquote text="『私は常にレースのあらゆる面が役に立つと考えてきた。この場合のレースとはラリーのことだけでなく、サーキットや公道でのレースに関することも含んでいる。レーストラックでの経験はラリーではできないしその逆も然りだ。あらゆるシーンに関わることでラリーでの競争力を手に入れることができ、そして目指していた結果が得られる。レーストラック上でも私たちは好成績を残した。全てのパワフルなポルシェを抜いてニュルンベルクで勝利したのを覚えている』 チェーザレ・フィオリオ" show_quote_icon="yes"...

楽しかった想い出? 2019年6月7日 - 史郎 | 愛知(日本)   多目的 運転そのものが本当に楽しかった。短いホイールベースが、4WDにも関わらずその旋回性能は特筆すべきである。また、愛知県全域が大雪に見舞われた時には、まさにラリーカーとしての本領を発揮し、雪道を楽しく運転出来た。 エンジンは熱くなるため、逆に冬場ではヒータの効きがよい。雪の積もった窓から雪がみるみる溶ける様は楽しいものがあった。 ライトも並行輸入車ならではのプロジェクターヘッドライト、4灯の内側がハイビーム、フォグランプもリアフォグランプも装備しており、視界の悪い激しい雨の時も不安なく運転することが出来た。 メーター周りもおもちゃみたいだが、ブースト計はもとより、油圧計、油温計等あらゆる計器が備わっており視認性に優れ、運転しながら車のコンディションを瞬時に把握するのにはとても役に立った。 高速に乗って遠征する際に眠くなったら、4ドアならではの後部座席の居住性の高さから、後ろで十分な仮眠をとることが出来た。後部座席に人を乗せて運転したことは何度かあったが、結局、他人が運転している時に後部座席に自分が乗ることは無かった。 [envira-gallery id="7291"] TOYOTA SPRINTER GT 大学に入学してからずっとバイク(Kawasaki ZZ-R 400)に乗っていたが、3年生の秋に車の免許を取得し、当時入手したTOYOTA SPRINTER GT...

レッジャーネ:戦闘機を基に設計された車 2019年3月24日 - Ruote Leggendarie Production | イタリア   あまり知られていないが、イタリアのモーターバレーの中、レッジョ・エミリアの町には、その地方のエンジン技術の発展にとても重要な役割をしていた会社があった。レッジャーネと言う名前でも知られている“Officine Meccaniche Italiane -...

サルサパリーリアコレクション農業から始まった父の歴史 2019 年 1 月 10 日 - マルツィア・サルサパリーリア | レッジョ・エミリア(イタリア)     私の父 父のことについて思う時、仕事、犠牲、疲労を思い起こす。 父のことについて思う時、父の好奇心、理解したいという欲求、彼の年齢になっても知ら ないことを発見したいと言う姿勢を思い起こす。 父のことについて思う時、人生の困難な時期にあっても、生きたいという願望と頑固さを 思い起こす。 [envira-gallery...

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