雑誌ジェンテ・モトーリのレイドの時代

Ruote Leggendarie Production

雑誌ジェンテ・モトーリのレイドの時代

2019年11月1日ヴィニチオ・マイス、プッブリマイス | トリノ(イタリア)

 
プッブリマイスが雑誌ジェンテ・モトーリのディレクター、ジャンニ・マリンからの電話を受けたのは、1975年のいつもと変わらない日だった。
少し前から彼らがオーガナイズしていた、世界中で開催される見応えのあるレイドについて、彼は熱心に私に話をした。フィアット、ランチア、シトロエン、ルノー、プジョー、オペル、ボルボ、スコーダ等の多くのヨーロッパの主要なブランドの車が、エジプトのピラミッド、アマゾンの熱帯雨林、グランド・キャニオン、インカのペルー古代遺跡、万里の長城の様な地球上の有名な場所へ何千キロもどのようにして輸送されるのか語った。それらの美しいが人を寄せ付けない環境で、それらの車は、燃費、耐久性、実際に記録を更新する程の走行距離の面で限界まで走らされた。同時に、そのパフォーマンスを間近でレポートしていたジャーナリスト、カルロ・カーサグランデのお陰で、晴らしい写真が掲載され、雑誌は大成功を収めた。
ジャンニは、次のレイドがメキシコ(そのためカッレーラ・メッシカーナと言う名称で呼ばれた)で開催され、3台のベータ・モンテカルロのグラフィックのために私の助けが必要だと説明した。私は迷わずすぐにそのプロジェクトに参加したいと答えた。
 


その電話からジェンテ・モトーリとプッブリマイスとのパートナーシップは始まり、数多くの車両のグラフィックを実現させ、80年代初め頃まで続いた。単に材料を使ってグラフィックを実現させるだけでなく、グラフィックをクリエートする段階にも積極的に参加した。
 
その過程はこんな感じだった。友情と理解する雰囲気を作り出せたジャンニは、ミラノからレイド毎にその前夜、イベントの舞台となる国や大陸、車両が走る予定のルートの詳細、既に決まっていればレイドの名前等の主な情報を説明するため私に電話した。毎回レイドが通過する地域の歴史を、何らかの形で思い起こさせる特徴的なデザインを考える必要があった。そのため、ディレクターは、私にアイディアを思いつかせるために、彼自身が鉛筆で描いたスケッチをよく郵便で送って来た。それを基に私は仕事に取りかかり、彼のアイディアを最終的にまとめあげ、完璧な形にした。しばしばオリジナルな要素を付け加えて、殆どの場合、彼に気に入ってもらい、大変喜んでくれた。
 
当時は現在の様に、アイデアを得る材料は身近にはなく、インターネットや現在のようなテレビ番組がなければ、想像力を働かせるか、家にある本や身の回りにある物からアイディアを得るしかなかった。例えば、私の最も成功した作品は、ポニー・エクスプレス・レイドに使われた、アメリカの地図とアメリカ原住民が羽冠をかぶった顔から構成されたもので、このデザインのアイディアは、道に駐輪してあった自転車のシートから得たものだったのだ!ポニー・エクスプレス・レイドのグラフィックはとても気に入ってもらえ、アメリカから戻って来た際には、そのデコレートがなされた2台のランチア・デルタがしばらくの間、トリノの中心地ローマ通りの目立つ場所にある展示場に展示されていた。その後プッブリマイスの私の所に戻って来て、次のアラスカでのノッテ・ポラーレ(極夜)と呼ばれるレイドの準備をした。地図の中央にセイウチの顔を加え、文字の上に雪の効果を吹きかけただけであった!
 
ジェンテ・モトーリと手を取り合い、次のレイドを開催する予定の場所の画像や情報を探すため日曜一日ずっと百科事典と向き合った長いアドベンチャーのことは今でも覚えている。会場となった場所は、非常に歴史豊かな場所が多かったので、考古学や古代文明が大好きな私にとっては、好きなことと仕事を結びつけ、さらに学ぶことができ、また既に知っていた知識を使える、他にはない機会であった。この情報収集の成果は、レイドⅡセンティエロ・デイ・マヤ(マヤの道)でのルノーのボンネットに描かれたマヤのケツァコアトル神の図となった。
 
現在の視点で見ると、ジェンテ・モトーリのライドの車両に関する作業が、何はもとより全てのグラフィックの作業は職人の技で、ある程度のタレントと熟練の技術が必要だという付加価値について言及しておくべきだろう。全ての図や文字はグラデーションや陰影を使ってデコレートされていたり、架空の文字が使われた。それらはまず紙に描かれて、図の輪郭を小さな穴で印が付けられた。この方法は、レオナルドやミケランジェロが活躍していた時代のルネッサンスの手法であった。車両のペイントされる部分は、アルミの紙で覆われ、その上に予め決定した図をベビーパウダーで印した。これはベビーバウダーの付着した布を打ち付けることで、穴の開いた部分だけからベビーパウダーが通り抜け、図の形に印をつけることで可能となった。次のステップでは、エアブラシでペイントする部分を決定するためメスを使って丁寧に型どりした。そしてアルミ紙を取り除き、最後の仕上げを細かいブラシで施した。
 
いまでもそれらの車の画像は、私をとても興奮させ、冒険、模索、当時の素晴らしい感情思い出させる。私の長いキャリアの間に、とても貴重な車も含め100台程度のグラフィックを施した経験、ジェンテ・モトーリのすぐ側で過ごした経験は、私の中で忘れられない特別な思い出としていつまでも残るだろう。
 
このタイムトラベルすることができる素晴らしくエキサイティングなビデオを含む記事や全ての素材を提供してくれたロベルトとルカに感謝する。



X