03 9月 どういういきさつでランチアデルタに興味を持ち始めたか。
どういういきさつでランチアデルタに興味を持ち始めたか。
2018年9月3日 – 史郎 | 愛知(日本)
ランチア(単語が長いので「デルタ」は省略します)との出会い。 それは大学2 年生の冬(恐らく1992 年)、北九州で開催された福岡モーターショーという東京モー ターショーの規模を小さくしたローカル版のショーに、同級生に誘われたのがきっかけだった。 当時、自分は車の免許は持たず、400cc のバイクに乗っていた。自分にとってそのモーターショーは 車だけでなく、バイクも出展されており、非常に好奇心をそそられるので、大学の授業をさぼって早 朝から、友人の車に乗って3 人で行った。
平日であったにも関わらず、当然人が多く、バブル全盛の当時、最新の車だったMAZDA RX-7(FD) や、MAZDA MX-6 等が自分にとっては非常に魅力的に思えたが、ある車の前を通りかかった時、友人 がその車の前に止まり、
「これがかっこいいんや!ランチアデルタHF インテグラーレ。ラリーのチャンピオンカーや。」 と言った視線の先には、真っ赤なランチアデルタHF インテグラーレ エヴォルツィオーネが華やか なスポットライトを浴びて佇んでいた。600 万円というその車体価格にも驚いたが、4 ドアハッチバ ックというファミリー向けなカテゴリーなのに、角ばったボディーに日本車にはないぎらぎらしたフ ロントマスクなどどれをとってもインパクトの深い違和感を覚える車だった。
「こんな車が600 万円もするのか!?なぜ!?」という印象だった。 当時、国産のラリーカーといえばTOYOTA CELICA GT-FOUR が有名だった。当時日本ではF-1 ブームで あったが、自分にとってF-1 は、サーキットという限られた空間の中で世界最速を目指すという、非 常に現実とはかけ離れた雲の上の存在だった。一方、ラリーは、指定されたレギュレーションの中で 市販車を改造し、山あり谷ありの曲がりくねった一般道を走るという現実的なカテゴリーである。コ アなファンではなかったが、
「悪路を走る速い車」というのには身近に感じる憧れのようなものがあ った。そのラリーで6 年間マニュファクチャラーズ・タイトルを獲得しているというこの車に次第に 魅入られていった。 当時のころは、インターネットなどほとんど発達しておらず、また、学生だった自分が情報を収集 するには限界があり、本屋での立ち読みや車に詳しい友人との会話から、徐々にランチアに関する知 識を得ていった。 基本的に4 ドアハッチバックという小型ファミリーカーというカテゴリーで、かっこいい車というの はあり得ないと個人的には思っている。車がかっこいいと思う形は、スーパーカーやスポーツカーを 見ても明らかなようにクーペだ。 そんな中、4 ドアハッチバックなのにかっこいい車であるランチアは、自分の中では異例の存在だ。 また、
「勝つためには何でもする」というコンセプトが車体に表れているのが一番の魅力だ。例えば、 エンジンルームの暑熱問題を解決するために、ボンネットに排気口を開けるだけではなく、ヘッドラ ンプ周りやフロントバンパー周辺にも可能な限り通気穴が設けられていたり、取って付けたような角 度調節の出来るリアスポイラなどがそうだ。一般道を走る際には、リアスポイラを立てる必要などほ とんど無いが、威嚇した鶏のトサカの様なそれは、気分を盛り上げるには十分な演出だ。張り出した ブリスターフェンダーも正面から見ると非常に迫力があり、高速道路の追い越し車線でバックミラー にこのフロントマスクが写ると、一般人は道を譲りたくなるだろう。