なぜ私たちはここにいるのか
車はタイヤ、ブラケット、システムと動く部品が一緒になったものだ。それぞれは、はっきりとした目的があり、何らかのために必要で、それぞれユーティリティーがある。しかし、私たちのマシーンはそれ以上のものだ。何かのために必要と言うわけではなく、直接的なユーティリティーはない。だが、私たちを見ていて、私たちに話かけ、私たちを待って、しばしば私たちを怒らせたりもする。
私たちは、このパッションにより結びついているが、それぞれ違う起源から来る偏見を持っている。
到達不可能なフェッラーリやランボルギーニに惚れ込んだ人もいる。芸術作品を前に無関心でいられるだろうか?シンフォニーコンサートでは?スタンダール症候群でなくても、乾いた音、イタリアの8気筒や12気筒の力強く奥深い流れが耳や体や骨に入っていき、私たちを揺さぶり、おびえさせ、魅了する。暗闇のうなり声である。
普通に使われている小型車に惚れ込んでいる人もいる。何百万台と作られた、毎日灰色の組み立てラインでの作業が繰り返され、色の付いた小さなボンボニエラが最後にはできあがる:500、2CVやビートルだ。これらの名前は説明する必要もない、ブランド名を出す必要もない、だれもがこれらの車のことは知っているからだ。この車が工場から出荷された回数と同じくらい、これらの車の名前を聞いたり、見たり、道で追い越したりしてきた。そして新しい車達によって時を経て追い越されてきた。しかし、新しい車にはかつてのそれらの車に匹敵するものはない。
若さを初めて感じるまたは再び感じるため、スパイダーやオープンカーを欲しいと言う人もいる。父親が乗っていた様なセダンが欲しい人もいる。要するに、私たちの様な人は数多く存在するのだ。
では、どうして私たちは、自分たちの夢にこんなに熱中しているのだろう?あなた達が、その理由を調べてみたり、特定したり、車に恋した瞬間を結晶化したり、その車をどうして選んだのか気にかけたりしたことがあるかどうかは分からない。私は、ある日いつも行っていた図書館の様な場所に入った、そこには様々なたくさんの古い新聞もたくさんあり、そこで私は分かったのだ。その中に80年代中期の有名な雑誌があり、素晴らしい先見でもって、車を投資や崇拝の対象だとみなしていた。
無造作に積まれた雑誌の一冊を見ていて、あるページを空けたときに『私の車』を見つけたのだ。今でも背中に寒気がする。なぜなら、その車の写真を見ている間、すぐに私の選択の理由がわかったからだ。
その昔、小学校には一人で歩いて通っていた。教科書やペンや鉛筆のケースで一杯の通学用のカバン。学校と家までの道は遠かったので、たくさん時間があった;私は注意深く、自由で新鮮な発想があり、飽くことのない好奇心でずっと周りをみていた。
ある日その道に『彼女』が駐車されていた。ダークカラーのミサイル。陸の宇宙船だ。その荘厳な側面、印象深いライト類を良く見るために私は10分くらいはそこに止まっていた。中を見るために、私の手はもしかしたら、その側面に触れていたかもしれない。走行計の中で奥の方に書かれていた最高速度がいくつまであるのか見るため。銀河を旅するための船なのだから。授業開始のベルが鳴ったので、急いだ。先生が点呼を取っていた。
翌日宇宙船はもうそこにはなかった。
この景色が図書館であの有名な雑誌を開き、私の個人的なひらめきに繋がるまで、私の中のどこかに気づかないまま引っかかっていた。
光沢のある紙で顔をたたかれた時まで、そのイメージは夢の様に隠れていた。
夢は突然形のある物となり、夢は今では体験することができるものとなった
Ruoteleggendarie は夢を見続けたり、生きていることを実感したいという気持ちと私たちのパッションから生まれた。